-
社長と社員のふたりごと#145
社長のひとりごと
皆さんは食事の効用はどのように考えていますか?生きていくために食べ物を口にすることは当然ですが、他の人と一緒に食事をする、特に家族以外の人々とすることはあなたにとって楽しいことでしょうか?それとも苦痛と感じるのでしょうか?
私は立場上、色々な方と食事をする機会があります。勿論、プライベートでも「女子会」と銘打って自ら集いをつくって四季ごとの食事を楽しんだりしてもしています。
提供される食べ物の味を楽しむ事と同時に卓を囲んでのお話をすること自体が私にとっては嬉しく楽しいことです。それゆえ、初めての会で隣に座る方がどんな方か存じ上げない場合はなるべく名刺交換をさせていただきます。そして会話を続けているとお互いの共通点が見つかり、親密感がわいてくることもしばしばです。そんな時は話が盛り上がります。
コロナが流行してからは宴会と呼ばれる集いが少なくなりましたが、又、最近、復活しつつある傾向は良い傾向と思われますか・・・?私は人間関係が希薄になりつつある昨今、喜ばしい傾向だと思います。又、前述のようにして人脈が広がる今の環境を振り返る時、私自身、本当に人に恵まれていると感謝しています。
社員のひとりごと
今回のひとりごとは
配送部門佐藤です。あの片倉小十郎の末裔が開拓した⁉
旧藩士入植の地・「白石」
北海道「地理・地名・地図」の謎より引用
札幌市内の東側に位置する白石区は、地下鉄・JRが通る交通の便の良さでも人気の地域である。この白石区のルーツは仙台藩の白石片倉家にある。白石片倉家といえば仙台藩伊達氏の重臣として名をはせた片倉小十郎の名が知られている。片倉家は初代小十郎にならって代々当主は小十郎を名乗っている。現在の白石区に移住したのは初代片倉小十郎の子孫・第一二代片倉家当主の邦憲だ。白石の地に片倉家旧臣が集団移住したのは一八七一年(明治四年)のことであった。これには明治維新による武士の失業という事情が背景にある。江戸時代、武家諸法度では一国一城という制度が定められていた。その制度からみると仙台藩には仙台城があるため白石城は例外的なものだったといえる。白石城は関ヶ原の戦い以降代々片倉家の居城として安定した地盤をもっていた。しかしこの白石城も幕末の混乱から逃れることはできなかった。
奥羽越を中心とした旧幕府軍と薩長を中心とした新政府軍が戦った戊辰戦争で仙台藩が新政府軍に降伏。白石城も明け渡しを余儀なくされた。領地を失った片倉家旧臣たちはここで職を失うことになる。
「札幌市史」によると封土を返上した片倉家旧臣たちは仙台に戻って帰農することをすすめられたが、蝦夷地の開拓事業を知った片倉家当主片倉邦憲が蝦夷地移住を請願したという。かくして九月家臣を引き連れて六〇〇人余りの大所帯で船に乗りこんだ一行だったが道中は困難を極め一一月最月寒に到着したのはわずか六七名であった。
厳寒期を迎える北海道の地で彼らは精力的に開拓を進め半月もしないうちに四七戸の小屋が立ち並んだ。開拓使の岩村通俊はこの熱意に心動かされこの地を「白石村」と命名したという。一九七六年(昭和五一年)白石区で発足されたふるさと会では現在も白石区のふるさと宮城県白石市との交流が続いている。
【感想】
北海道と宮城県とのつながりというと道南の伊達市が思い浮かびますがここ札幌市
白石区もその一つ小耳に聞く程度での知識しかありませんでした。北海道についてまだまだ知らない事がたくさんります。市町村の由来や河川名の由来などなど。役にたつたたないは別としてこのような本を読む事で少しでも知ることができるとまた違う本を読むきっかけになれればと思いました。